笹笠箕範のレビューコレクション
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あの教室で見た夢、それを見た夢。再プレイいたしました。 我々は何者なのか、何者たるのか。記憶をもとに人格が形成され、分泌されるセロトニンの量や質によって喜怒哀楽を引き起こし、生命体の限界によって消滅する。 しかし、上記のことが素晴らしくないわけではない。喜び楽しみ、時には怒りや楽しみを覚える。人と人とのコミュニケーションの良い所は計り知れないほどある。 主人公が示してくれるのは、最小化した生き甲斐であり、我々は主人公の境遇よりも恵まれていることを実感すべきではないか。 私はそう思います。
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雨の王、不要な勇者不幸は克服できません。ただ、悲観することのみを克服したかのように感じることもある、それだけです。 瞬時に命を失うのも、もがき続けて命を失うのも、どちらも不幸です。 私には、悲観する心を誤魔化すことはできません。それを思い知らされるのが、このゲームの主題ではないかと感じます。
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からっぽちゃんとアンインストールこのアプリには大した力は無い。結果を生み出すのはアプリを利用する個人の意思。そして自分が何者かを正しく理解していない故に、己をも滅ぼす。このアプリには大した力は無い。安易に他人をどうかしてしまおうという個人の意思があればこそ、このアプリが怖く見えるのだと感じました。
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そうだね、その夏の日の話をそっと君にしようじゃないか
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異常体管理記録報告連絡9件
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ティラノフェス2019オープニング
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古文でパズる!楽しく古文させていただきました。 教材のチョイスも良かったです。 ただ、文法的なものが解説されなかったのは、ハードルが上がり過ぎるからかな、と思いました。 右下の「歯車のアイコン」は、プロジェクトファイルのdataフォルダ下のsystemフォルダ内部のConfig.tjsをUTF-8に対応したエディタで開いて、configVisibleを falseにすれば表示されなくなる(ビルダーなら、もうひと手間ですが)はずですが…。
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雨の王、不要な勇者雨が降り続ける世界。その空よりも暗く闇にも思える閉鎖的な関係。 深海魚や土の中の虫が、光の中に引き出されてもがくように、闇の中に生まれたものは光の中では幸せになれないのでしょうか。 闇を求めて暗がりに潜り込み、或いは光の中を暴れ、最期には命を落として別の闇へと消えていく。 思えば生命は常に闇の中から生まれてくるのです、人間も然り。 しかし多くの生命が光を目指すのは、光の中で生まれ変わる術を遺伝的に受け継ぎ、またそれを望むからではないでしょうか。 世界中には、闇を表す言葉が多いですが、光を表す言葉も多い。これが生命の長い進化の象徴のような気がします。 この作品の登場人物も、闇をもがいて、結果はどうあれ行動します。おこがましいようですが、彼らにとって、意義は薄いかもしれませんが、こうして私を含む様々な人々に、その人生を見届けられていることが、辿り着いた光なのではないか、と思ってしまうのです。 何度悲しい結末を見ても、どこかでは彼らに幸福な道が残されていて欲しい、と切実に願ってしまう、非常に心に響く物語でした。
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私には姉がいました。
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あの教室で見た夢、それを見た夢。